2009年12月17日

宮古島が島の形もなしていない太古

宮古島が島の形もなしていない太古、天帝(あめのてだ)が天の岩柱の端を折り、弥久美神(やぐみのかみ)に授け「下界の風よからんところに島を造りなせ」と命じ天の夜虹橋(あめのゆのづはず)から下界の大海原に岩柱を投げさせ固まったのが今の宮古島となった。天帝は次いで赤土を下し古意角(こいつの)神に「下界に降りて人の世を建てて守護神となれ」と命じたが古意角が「我に足らざる片つからだを賜え」天帝「汝六根五躰を備う、また何の不足かあらん」古意角「すべて陽あれば陰あり、陰あれば必ず陽あり」との問答を経て天帝ようやく古意角の願いを入れ女神の姑依玉(こいたま)の共を認めた。

古意角・姑依玉の両神は、豪勇の盛加神(もりかのかみ)を始めとした八十神百神(やそかむももかむ)を連れて天の夜虹橋を渡り七色の綾雲に乗って地上に降った。彼らは漲水天久崎(ぴゃるみずあめくざき)の地(漲水御嶽の東側にあった岬、現在は埋め立てられている)に宮居を定め、宗達(むにだる)・嘉玉(かだま)の男女児が生まれた。また島は赤土ばかりであったので天帝が再度黒土を下し、宮古島は五穀が稔るようになった。

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十幾年かが過ぎ宗達・嘉玉が大きくなった頃、天帝は葉を身にまとった木装神(きそうのかみ)という男神、青草を身にまとった草装神(ふさそうのかみ)なる女神を下した。それぞれ宗達・嘉玉の夫婦となり、東地・西地に住むがこの地は現在の東仲宗根・西仲宗根という。宗達夫婦は世直真主(たよなおしのまぬす)なる男児を、嘉玉夫婦は素意麻娘(そいまらつかさ)なる女児を産んだ。のちこの二神が夫婦となり子孫が栄えるが宮古島民の祖となったと云う。

この伝説が、はじめて記述されたのは18世紀に書かれた『宮古島記事仕次』と言う宮古島の伝説をまとめた本である。

2009年12月01日

ネコとタヌキ

かつて中国ではネコに「狸」の字を当てたが、日本でも、ネコやヤマネコと、それらと同様によく木に登るタヌキとの間に、古代よりイメージの混雑がしばしば見られる。 近世には中国の例に倣ってタヌキを「野猫」と表記した書籍もあるが、後述するように、イヌ科のタヌキと(現在「野猫(のねこ)」と呼ばれる)野生のイエネコとは、まったくの別物である。

このように日本では近世まで、ネコとタヌキが表記上でしばしば混同した例がある。「和漢三才図会」などに記される「野猫」はタヌキのことであり、本項で述べるところの野猫とは、言うまでもなく別物である。
日本において、鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律(鳥獣保護法)関連の法の下では、野猫は捕獲できる野生動物に含まれる。
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一方、動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護法)においては、「愛護動物」に含まれる「ねこ」として、愛護すべき対象として挙げられている。

野猫・野良猫・飼い猫の区別がつけ難い以上、野猫は「みだりに傷つけてはいけない」対象なのか、それとも「狩猟してよい」獣なのかという点で、主に関連分野に属する市民や民間団体など、関係各所の意見が対立することがある。

狩猟を実施するハンターにおいても、実際は狩猟対象である野猫と狩猟対象外の野良猫や放し飼いの飼い猫の相互の区別が極めて困難(首輪の有無および、野山に住むか街中をうろついているか程度でしか判断が出来ない)である為、野猫を主要な狩猟対象として活動する者は殆どいないとされている。

2009年11月27日

兵器産業としての特徴

軍需産業の中でも製品としての兵器を開発し生産する産業では、他の産業に比べて以下の点で特徴がある。

顧客は独占需要家:軍需産業は政府以外に顧客を持たず、外国政府への販売であっても政府が仲介を行なう。
寡占市場:特定の兵器を生産できるのは1社か又はごく少数の数社のみである。
性能・機能優先:兵器の取得価格は2次的な要素であり、性能・機能が優先される。
競争は初期のみ:政府から兵器開発の委託契約を受けるまでが、他社との本当の競争であり、一度、兵器開発プロジェクト契約を勝ち取れば、それ以降の継続的な開発契約や実証テスト契約、少量生産契約、量産契約、保守と保守部品供給、設計変更などの長期に渡る受注が期待出来ることが多く、少なくとも他社との競争では圧倒的に優位に立てる。
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少数の計画:兵器は細かな用途別で多様な兵器が個別開発される傾向が少なくなり、同一の用途は1種類の兵器で賄われ用途別の兵器もできるだけファミリー化によって新たな兵器の開発を減らし、出来るだけ一元化されるようになっている。これは兵器の開発と生産を行なう企業にとっては、ある分野での兵器市場を10年以上に渡って100%独占できるか、0%になるかといった両極端な状況を生み、開発と生産の為の企業資産を長期に渡って平均的・安定的に保有することを難しくしている。
保護:企業倒産による兵器技術の国外散逸や不法組織への流出を避けるために、政府は経営の思わしくない兵器企業に各種の経済的な支援を行なう。
政府規制:政府の規制が多い。
遅延と追加予算:開発契約は遅延され、その上、追加予算が求められることが多いが、政府はこれを受容することが多い。

2009年11月13日

後世の評価

江戸時代においては小瀬甫庵が記した『信長記』によって知られたが、『絵本太功記』等で庶民に親しまれた豊臣秀吉に比べると、庶民の間での評価はそれほど高くなかった。明治以降は信長が行った御料所回復等の事蹟が勤皇家としての評価につながり、明治2年(1869年)に明治政府は織田信長を祀る神社の建立を指示した。明治3年(1870年)、天童藩(現在の山形県天童市)知事の織田信敏が東京の自邸内と、藩内にある舞鶴山に織田信長を祀る社を建立した。この時信長を祀る社には神祇官から建織田社、後には建勳社の社号が下賜された。その後、明治13年(1880年)には東京の建勲神社は、京都船岡山の山頂に移っている。大正6年(1917年)には正一位を追贈された。

戦後になると、信長の政治面での事蹟が評価され、改革者としてのイメージが強まった。またルイス・フロイスが記した『日本史』の研究が進み、比叡山焼き討ちや自己を神とする行動や「(信長が)自ら手紙に第六天魔王と記した」[1]という記述から「無神論者」、「破壊者」といったイメージが生まれ、その設定を利用したフィクション作品も数多く生まれている。
戯曲
公務員
ポリマー
ロデオ
整形外科学
両生類
サッカー
タップダンス
労働組合
中国地方

織田氏は平氏や藤原氏とも自称するが、福井県丹生郡越前町織田にある劔神社の関係から古代豪族の忌部氏と考えられる。越前に地盤を築き、尾張に派生した。朝倉氏とは当初からのライバル関係。織田信定から古渡城主で父の信秀の代で守護代を務める本家と同等に渡り合える力を持った。

「信長公廟」:京都市中京区の本能寺
石造宝篋印塔と入母屋造の廟屋。本能寺の変で焼失した後に、場所を移して再建された本能寺に墓所がある。

2009年11月02日

イギリス海峡内には多くの島が存在し

イギリス海峡内には多くの島が存在し、中でもハンプシャー州の対岸でイギリス海峡内にあるワイト島はソレント海峡でイギリス本土から分断された島でヴィクトリア朝時代から重用されておりワイト島1島でイングランドの1州を成している。一般的に、コーンウォール半島の沖合に位置するイギリス沿岸部から遠く離れた南西沖のシリー諸島はイギリス海峡の島嶼とは見なされない。

フランスの岸では海岸線が深く入り組んでおり、特にコタンタン半島はイギリス海峡に深く突き出た形をしている。

ピカピカの高校生
ビックリマン
ピラフ職業訓練
ふしぎ旅行記
フランク坊健康倶楽部
ペアリング
ほうじ茶
ホストジュニアスポーツ
ポンポンどり
ママの神様
海峡の形成は比較的新しい時代のもので、最終氷期末期の約1万年前までは、陸地であった。その後、45 - 18万年前に氷床の融解により北海南部に淡水湖が形成されたが、これがウィールド地方 - アルトリア丘陵方面で発生した壊滅的な大規模洪水によって大西洋と連結され、海峡が形成されたと考えられている。1秒辺りの最大放出量は100万立方メートルを超え、洪水は数ヶ月続いたと考えられる。洪水に至った原因については特定されていないが、淡水湖の水圧が地震によって圧縮強化されて引き起こされたと推定されている。ヨーロッパ大陸とイギリスを繋げていた地峡を破壊したと同時に、洪水は巨大な岩盤で形成された谷を英仏海峡の下側に刻み、流線型になった島と壊滅的な洪水の爪痕を残した。

イギリスの海上気象予報 でのイギリス海峡は4つのエリアに区分されている(イギリス海峡西側)。

2009年10月23日

債務者の財産に関する保全処分

破産手続開始決定がなされれば、その後は破産管財人によって財産の管理・処分がなされるが、開始決定までの間は従前通り債務者が自由に財産を処分できてしまう。このことから、破産手続開始の申立てから破産手続開始決定までの間に、債権者に対する配当原資となる債務者の財産が散逸して破産手続が無駄になる危険がある。この危険を防止するための手段として、破産手続開始決定前の保全措置が定められている。

破産法第28条

裁判所は、破産手続開始の申立てがあった場合には、利害関係人の申立てにより又は職権で、破産手続開始の申立てにつき決定があるまでの間、債務者の財産に関し、その財産の処分禁止の仮処分その他の必要な保全処分を命ずることができる(破産法第28条第1項)。
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裁判所は、前項の規定による保全処分を変更し、又は取り消すことができる(破産法第28条第2項)。
この保全処分及び保全処分の変更、又は取消の決定に対しては、即時抗告をすることができる(破産法第28条第3項)。
この即時抗告は、執行停止の効力を有しない(破産法第28条第4項)。
この保全処分及び保全処分の変更、又は取消の決定の裁判及びその決定に対する即時抗告についての裁判があった場合には、その裁判書を当事者に送達しなければならない。この場合においては、破産法第10条第3項本文の規定は、適用しない(破産法第28条第5項)。

2009年06月22日

遠隔操作対象が高度化する一方で

遠隔操作対象が高度化する一方で、この軍事用ロボットから送られてくる様々なデータを処理するため、操作者側のコントローラーもコンピュータで自動化・効率化が為されており、自動操縦の指示などはこのコンピュータに予めデータを与えることで運用可能であり、特に実用化されている軍事用ロボットでも地上偵察用では、戸外でも使えるよう防水・防塵仕様のノートパソコン程度のコンピュータに無線送受信機を接続して利用する形態が見られる。

また歩兵の将来像としてウェアラブルコンピューティングにより高度に情報化された歩兵が想定されており、この歩兵が備えるであろうヘッドマウントディスプレイを介して偵察ロボットを操作することも実際の方向性として進められており、この場合においてロボットのオペレーターは家庭用ゲーム機のジョイパッドのようなコントローラーを操作することが考えられている。すでに実用化された無人偵察機の場合では、複数のモニタを備えた操作席に座ったオペレータが、衛星回線経由で米国の軍オフィス内から遠隔地のロボットを直接操作することも可能となっている。
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ただこういった遠隔操作では、いくらかコンピュータの補助があるとはいえ、操作者は目や耳を介して得た情報を元に判断し、手を使ってコントローラーを操作するため、見落としや操作ミスといった面で確実性に限界が存在し、これは高度化しつづける航空機などの兵器操作でも同種の問題を含んでいる。特に前線では悠長にコントローラーを取り出して操作しにくい状況などから、やや後方から操作したり、軍事用ロボット操作中の兵士を他の兵士が援護したりしなければならない。

2009年06月05日

経緯の詳細は不明であるが、室町時代に入ると

経緯の詳細は不明であるが、室町時代に入ると下国(しものくに)と上国(かみのくに)の二家に分かれ対立したと見られている。上国家は出羽小鹿島や出羽湊(現秋田県秋田市)を領し、後に秋田郡を制して秋田城介を称した。

一方、津軽を領した下国家は15世紀半ば頃、東の八戸方面から勢力を伸ばしてきた南部氏に追われ、いったん蝦夷島に逃れた後室町幕府の調停で復帰したものの再度蝦夷地に撤退[14][16]、更に出羽に移り檜山(現秋田県能代市)を中心に出羽最北部西半から蝦夷地南部を領した。近年の発掘結果からは、十三湊遺跡の最盛期は14世紀半ばから15世紀前半と推測されており、文献資料と矛盾しない結果となっている[13][15]。

下国家と上国家は、それぞれ陸奥国北辺と出羽国北辺で蝦夷管領の役割を果たしていたとも推察されている[17]。この頃から「安藤」の表記を「安東」とする例が多くなるが理由は明らかでない[18]。

更に、室町幕府の奥羽大名施策において、両安東氏を屋形号を称する家柄として秩序立てていたとする見解もある

出羽南遷前の康季は若狭国羽賀寺の再建に際して奥州十三湊日之本将軍と称し、天皇もその呼称を認めていたということが知られているが、盛季以前の下国家の系譜は諸系図によりまちまちであり、一級史料に見える名と系図の名が一致しない等系図の信憑性に疑問が持たれているため、実態については、いまだ研究の途上にある。盛季以降の系譜については生没年等に諸説あるものの、ほぼ疑いのないものと考えられている。

政季は分家の潮潟安藤家出身であったが、下国家の蝦夷島撤退のころ南部氏の捕虜となり、まもなく南部水軍の根拠地であった田名部(むつ市)を知行し「安東太」を称した。これを、南部氏が政季を傀儡とし北方海域の各地に広く分布していた安藤氏の同族を掌握したため、北方海域の安定化と幕府権威の浸透につながったとし、このとき下国家は断絶し潮潟安藤政季から新たに檜山安東氏が始まるとしている説がある[14][19]。

しかし政季もまた南部氏と対立し戦闘に敗れて蝦夷島に撤退している。このとき、三守護職を代官として設置した(道南十二館)ことが『新羅之記録』に記載されているが、実態は安東家政或いは安東定季が一人守護として統括していたとする見解も出されている[14]。

下国家は安東政季以降、津軽と隣接する出羽国河北を本拠地とし、津軽帰還を試みたが果たせなかった。1456年(康正2年)、「河北千町」を領していた葛西秀清を政季・忠季父子が滅ぼしてここに本拠を構え、政季が築城を開始して忠季が1495年(明応4年)頃に修築を完了したのが、檜山城である。以後、尋季、舜季、愛季、実季まで5代にわたり下国家檜山安東氏の居城となり、ここを本拠に陸奥国比内、同国阿仁方面に勢力を拡大したと見られる。比内と阿仁が出羽国の一部として扱われるようになったのは、これ以後と推定される。
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忠季以降の安東氏は、檜山築城や寺院建立を行う一方で蝦夷島の経営にも努め檜山屋形と称した。しかし、次第に蝦夷島が安東氏の統制から離れ始め、特に蝦夷において被官であった蠣崎氏が上国守護職に加えて松前守護職を名乗ったことを追認せざるを得なくなるなど、戦国時代前期には実質上北出羽の一豪族となった。

しかし、下国家はなおもかつての勢力圏の支配の意欲を捨てておらず、東海将軍を称して内外に出羽、陸奥北部から蝦夷にかけての支配圏を誇示しようとした(これには否定的見解も出されている[14]。)。特に舜季は蝦夷地に渡り蠣崎氏とアイヌとの講和を仲介するなど蝦夷に対する一定の権威を示している[11]。一方で日本海海運の拠点であった小浜湊に代官関戸氏を置いていたとの見解もあり、北日本海に止まらない活動範囲も指摘されている

2009年05月02日

生態学の研究分野

生態学は、生物にかかわる研究をするので、大方は生物学に属するものと考えられる。生物学では、その扱う対象に様々な階層がある。(核酸を含む)分子を扱う分子生物学、細胞を対象にする細胞生物学、(組織や個体そのものの意味での)生物体を対象とする生物学、個体群を対象とする研究、群集の研究、生態系や生物圏に体する研究などである。最後の3つ(あるいは4つ)がほぼ生態学の範囲にあたる。

デートスポット・地域産業関連宿泊ガイドサイト
スコットコスメチックナビ
投資・信託関連ビジネス支援紹介
占い・離婚相談所関連住まい生活情報
健康・医学・薬学関連健康づくり検索エンジン
ヨークシャ買物市場ガイド
シューネビッチェン学習総合
交通地図・海外・国内関連宿泊スポットネット
ホシバナコスメグッツ情報
調査・探偵関連経済支援紹介

生態学では、生物とそれをとりまく環境間の相互の関係に焦点を当て、生物について俯瞰的に説明を行おうとする。そのため、地質学・生化学・地理学・土壌学・物理学・気象学などの他の学問分野とも深い関連をもち、綜合的な(=非還元主義的な)科学であるとされる。

以下に、生態学における諸分野を、スケールの小さなものから列挙する。

生態生理学(あるいは個体生態学):生物の型と環境要素との関連を研究する。
個体群生態学:個体群と環境との間の関係の研究。
群集生態学:生物群集、あるいは複数種の個体群と環境との関連を研究する。
生態系生態学:生態系の生物的・非生物的構成要素を通じたエネルギーと物質の流れを研究する。
地球規模の生態学:生態圏・生物圏というスケールでの生態学。

2009年04月18日

英語史(えいごし)

現在直接辿れる英語の最古の祖先は印欧祖語である。印欧祖語はかつて黒海沿岸に居住していた民族が使用していた言語であると推定されている。そこから幾つもの言語集団がインドからイラン、ヨーロッパにかけて移動し、ヒンディー語、ペルシャ語や、ヨーロッパの諸言語として分かれていったと考えられている。

黒海からヨーロッパ北部へ移動していった言語集団をゲルマン語派と言い、その中に現在の英語、ドイツ語、オランダ語、北欧諸言語が含まれていた。

そのゲルマン族のうち、ドイツ西北部に移住した部族にアングル人・サクソン人・ジュート人がおり、しばらくそこに住んでいたがやがて4世紀ごろにフン族の圧迫で西部に押し出され、ブリテン島に渡った。

古英語(5世紀から11世紀中ごろまで)
紀元前からブリテン島 にはブリトン族などのケルト人が住んでいたが、 ブリタニア(現在のイギリス)はシーザーの進軍(A.D. 43年)によってローマ帝国に組み込まれた。しかし帝国が衰退するにつれ、ローマ軍は大陸へ撤退せざるを得なくなり、その空白を縫ってゲルマン人の部族であるアングル人・サクソン人・ジュート人が5世紀ころブリテン島に侵出し、ケルト系住民を西北に押しやって定住した。

彼らは七つの王国を樹立し(七王国時代)、あい争っていたが9世紀に統一され、この王朝のもとで古期英語が隆盛した(アルフレッド大王の学芸保護政策)。アングル族・サクソン族の言語が英語のベースとなっているため、英語の最も基礎的な語彙、文法はゲルマン語に基づく。(folk, mind, ghost, shape, withなど。)

また大陸からキリスト教典などのラテン語文献も翻訳し、およそ450語のラテン語彙が流入したが、これらは主に宗教、学術用語であった。現在もほぼ同じ形で使用されている。(angel, candle, organ, Antichrist, prophet, discipleなど。)

8世紀ころからデーン人(バイキング)の侵略が激しくなり、王国は崩壊し、11世紀はじめにはイングランドはデンマーク王クヌートの支配下に入る。この長い混乱の過程で古ノルド語の語彙が英語に入ってきた。古ノルド語も英語と同じくゲルマン語であるため、英語は古ノルド語から数千もの日常語彙を借用した。(awkward, band, bank, weak, die, graspなど。)
デッド トリーニ タンク ジョブ ドン カール スモッグ トレーパッ オール 豊の国 チョッパ ナビ男爵 チェリモヤ チロシン ジャーニー バラモン サイン えさん ミリメシ アカシア きんぱく リべリ サンサ シパール 時遊館 ティビティー シャクナゲ セーフ フューチ ナルシス スルピリド タウポ リンク デジカメ くんかく リラ リアクン ジェンダー ドラフト ユニコード モアレ ルナリア ドリル プーリ オルガ ライトバン サーチ霊芝 愛の技 セロット ミッド

王の死後、アングロ・サクソン人の支配は復活するが、その支配力は弱く、内乱が相次いだため、最終的には、フランス北部にいたノルマン人に占領される(ノルマン・コンクエスト、1066年)。

まとめれば、5世紀から11世紀という中世前半に、アングロ・サクソン人のゲルマン語が母体となって、ラテン語・フランス語・古ノルド語の影響を受けて、英語が出来上がっていった。Englishとは「アングル(Angle)族の言葉」、という意味である。

中英語(11世紀から15世紀ごろまで)
ノルマン・コンクエストの結果、イギリスの支配階級はほとんどフランス語しか話さない人々によって占められることになり、フランス語が大量に流入した。その結果上流階級の話すフランス系語彙と、中下層階級のゲルマン系語彙の二系統が混在する現在の英語ができあがった(mutton(食用の羊肉)?sheep(家畜の羊)、beef(食用の牛肉)?cow(酪農用の牛)など。つまり貴族は食べ、庶民がその肉を養うのである)。

この時期に英語に入ったフランス語にはpavilion, tennis, umpire, nasty, bribe, gentleなどがある。そのときまでに英語には十分な語彙が存在していたため、新しく入ってきたフランス語は従来の英語の意味を変えたり、変えられたりして定着し、結果として英語の表現力は大きく向上した。例えば判決を下す、の英語は元来doomであったが、それはフランス語のjudgeにとって代わられ、doomは「最後の審判」という特殊な意味へと変化していった。

しかしノルマン人は少数だったため、13世紀になると英語がイギリスの国語としての地位を確立し始め、百年戦争の敗退などを受けて14世紀には貴族でさえ英語を母語とするに至った。だがこの間にフランス語から借用された語彙は一万語に及び、その75%が現在まで残っている。

長らく英語では話し言葉と書き言葉(ラテン語)が分離していたが、ルネサンス(文芸復興;14?16世紀)の運動がようやくイギリスにも伝わると、両者を一致させる動きが現れ、ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』などができあがった。

古英語期にはアルフレッド大王の文教政策が功を奏し、ウェセックス方言によるテクストが多く残り、一つの「標準語」として認められるが、中英語期には前述のような階級間でのかなり目立った言語格差が見られたり、フランス語からの影響を多大に受けていたことも手伝って、中英語は言語的にかなり過渡的で流動的なものだったといえる。従って、古英語のように形態論、統語論を「中英語」という枠で一般的に記述することはきわめて難しい。その場合には、チョーサーが用いた「東イングランド」方言に限定するなど、時代・地域の的を絞る必要がある。それほど時代・方言によって違いの多い時期であった。